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Bライフ研究所を閉じた寝太郎の矛盾としゃらくささの正体。

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以前Bライフの毎年寝太郎の矛盾を全て洗い出す為に記事を読み返そうかと考えていたがやっぱり辞めた。
寝太郎は自身の根幹であるBライフについて書かれたホームページを何の説明もなくいきなり消した。
寝太郎は確かに頭が良い東大卒だ。
しかし超上位交換と言っても、同じ理屈馬鹿である以上考えている事はよく分かる。
私もよく過去記事を消すからだ。
私が過去記事が消す理由は自分の為に書いているブログに、自分が必要ない文章をのせるべきではないと思うからだが寝太郎はどうだろうか?

とにかくいくら寝太郎の矛盾点を見つけても記事を途中で消す人間に対していくら矛盾点を見つけても仮に端から端に消されたのでは虚しいだけだ。
それに今更膨大な寝太郎の過去の記事を読み返した所で、私の書き方が悪いんだろうが寝太郎って意外とディスっても数字を持ってない、だから最初から最後まで読み返すと言う計画は今更辞めた。

寝太郎のブログって過去の矛盾点を読み返されない為にわざと過去記事を探しにくい設定にしているのではないかと言う不親切設定だ。



それはとにかく一部の人達にとって″お前はどうなんだ″と叩いて相手の言い分を封じる方法を使えない事はそれはそれはストレスが溜まるらしい。
お前はどうなんだと言えば相手に討論で勝てるなんてネットだけだ。
寝太郎みたいな理屈馬鹿は出来るだけ″お前はどうなんだ″と言わせるような文章は書かないように恐らく心掛けてる。
寝太郎のブログは矛盾が見つからないように細かく細かくルールを変えていった集大成だ。
はじめにBライフと言う大きな箱を用意して、その中の矛盾点は少しずつ改良して、挙げ句無理になればBライフのホームページそのものを消してしまう。

イニシャルで書くがG・Aも恐らく似ている。
はじめにアフィリエイトと言う分かりやすい箱を用意して、中身の矛盾点は分からないように微妙に変えていく。
払えなくなったら?
払えなくなったら一万再生以下にはアドセンスを出しませんとか、貴方は違反を犯しましたとか色々な理由を用意したらいい。

前回の支払いのデータをいつも微妙に遅らせるのは辞めてくれ。
いつも払われないんじゃないかと心配している。

ユウチュウブとグーグル+の連携だっていつの間にか使用が変わったし、はじめに大きな箱を用意して細かい矛盾点を少しずつ調整していき都合が悪くなったら記事ごと消すと言うのは私達みたいな理屈馬鹿の典型的手段だ。

後はユウチュウブのコメント欄でバットボタンを通知しなくなったのはどういうつもりだ。
Facebookにもツイッターにもバットボタンなんていう概念はない。
私は人が人を嫌うと言う感情には好きという感情と同じくらい人間らしさが溢れてると思っている。
それをわざわざ取り入れるのがG社の良い所だと思ったが結局は建前だけか?
だったらみっともないからはやく消してしまえ(世の中には一度態度で示してしまった以上何をしても、文句を言う生き物がいる)。

寝太郎みたいなタイプには″お前はどうなんだ″と言う手段が使えずストレスが溜まると書いたがそれは何故か。
寝太郎みたいな理屈馬鹿は自分も他人も嫌いなら攻撃する。
だが結局自分に対するディスは緒戦自傷行為
切り口が甘くなるのは確かだが″心得てる″と言えば、中々指摘もできない。
今やコメント欄が閉鎖された為に仕方なくだろうが、そういう人間のアンチは結局匿名掲示板に消えてしまう。

しかし寝太郎のアンチはまだ幸せだ。
相手がコメント欄を用意せず或いはブロックして、挙げ句自身は発信の場所を持たず匿名掲示板に名前がのるほどメジャーじゃなければ只イライラしているしかないんだから。
こういう風に書かれると、自分を俯瞰して自虐してるのか、そう思っている人がいるのか、或いはそういう人間はどうせいるんだろ?とアルアル言っているのか分かりはしない。
私みたいな人間のブログを読んでくれるのは似たタイプが多い。
と言うか読者と言うのは大抵そうだ。



私みたいなタイプって?
それは大きな箱として主題を用意しているが、中では絶えずルールを少しずつ変えていてあまりに矛盾が起きると始めの大きな箱をいつの間にかなかった事にしているタイプだ。
このタイプは自己批判と他者批判を頻繁に行い、だからこそ自分は正しい物の見方をしていると言う思いが人一倍強い。
私は既に道を踏み外しているか?だからと言って今更反省はしないぞ。
自己批判は常にしているという自負があるからだ。

自分に似ているから好き。
自分に似ているから嫌い。
それは皆そうだが私みたいなタイプって自分に対する考えが複雑すぎるから、頻繁に変わるんだよな他者に対する評価が。
だから私はいつも言っているナヨナヨしていて信者がいる引きこもりが羨ましいって、私みたいなタイプはそれは一時は正論言っていると嫌いならアイツを扱き下ろしたと評価されるかもしれない。
しかし次に扱き下ろすのは自分に似たタイプかもしれない。
その上自虐なのか、相手を批判しているのかも分かりはしない。
これではストレスが溜まる。



私はご意見番と言う程地位がないが、これは常にご意見番が持つジレンマでもある。
Creepy Nuts(R-指定&DJ松永)の教祖誕生の歌詞にもあるが、いつかは″神様気取りのそれ″になる。
″あの日自分が大嫌いだった″のにだ。
般若がDOTAMAにラップバトルで、過去にディスっていて今は馴れ合っているZeebraに似てきたと言われて般若は後に効いたと言っていたが、やっぱり人を批判したがる人ってどこかに憧れがあるのか。
憧れてはいるが、自分の考えと差異が出てくるからやはり叩くのか。
結局は同じ事の繰返しか。

寝太郎にはじめに矛盾点を感じたのは自分で小保方晴子を風刺したような文章を書いた後に、次の記事にどうして皆小保方晴子を批判するのかと書いた時だ。
マスコミは傲慢だ。
しかし自分だけはその話題に触れても良いと言うのはまさ″神様気取りのそれ″だ。

寝太郎のブログはブログ内検索窓がないし、試しにグーグルで″寝太郎のブログ 小保方″で調べても記事は出てこなかった。
Creepy Nuts(R-指定&DJ松永)の教祖誕生の歌詞で言う所の″いつもの大作戦成功か?″だよな。

昔から寝太郎の矛盾点については書こうと思っていたが、その一つに明らかに東大出の寝太郎を見誤った匿名掲示板の連中の書き込みが気に入らなかったからだ。
寝太郎は少しずつ少しずつ文章の中で矛盾点を調整している。
それを解かないと寝太郎の根本的なダメさ加減は分からないし、寝太郎は自分達よりはるかに頭が良いのに、それを無視して簡単な方向で批判したがる態度に腹が立った。
でも結局私も同じ穴の狢で、ブログを隅から隅まで読んで矛盾点を探す作業はしなかった。
理由ははじめに書いている。