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嫌いと言う感情に正統性があれば人は必ず振り向く。

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分かりやすい所をディスっても仕方がない。
例えばシバターがヒカキンをディスった後にヒカキンをディスったり、MasuoTVが熱帯魚を死なせた時に皆と同じようにをディスっても誰も振り向かない。
出来るだけ狭い界隈で皆薄薄思っているが、敢えては言わない事をディスする。
それに意味がある。

他人と対立軸を持つ時に人は自分が何者かが分かる。
嫌いという気持ちは好きと同じぐらいその人の輪郭をハッキリと浮かびあがらせる。
要するに人間らしさだ。
その嫌いという感情に大義があればいかに無名な存在でも人は振り向く。



既に手垢がついたヒカキンや炎上した後のユウチュウバーをディスっても無名であればあるほど誰も注目しない。
本当は言いたいアイツに言った時にだけ人は無名に振り向く。

私もブログをやっている以上読まれたいのでずっと人をディスっていようかと思うがそれが中々続かない。
好きと言う気持ちは誰かに負けるが嫌いと言う気持ちは人には負けない。
好きと言う気持ちは段々と曖昧になって、現実で人をディスると言う事はとても勇気のいる事だ。
私には正当性がない。
だからブログで人でもディスってないとマジで自分が分からなくなる。
だから書いている。

ラップバトルに魅力があるのは全力で自分をぶつけるからだ。
人間関係について考えるとやはり自分にキャラクターをちゃんとつけて逃げずに向き合うしかないと思うのだが、このブログで人をディスっている時みたいにずっとは気持ちが続かない。
ずっと同じキャラでずっと同じ人間関係を継続している人間なんて本当にどうしているのか分からない。
同じように見えても世の中は変わっている。
しかし少し話は変わるがいいとものタモリは数々の番組が終わる中ずっと変化を悟られずに番組を続けてきた。
思えば私が産まれてからあんなに変わらない人間性と立ち位置、本人の印象が変わらないのはタモリ天皇陛下ぐらいだろう。