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性の喜びおじさんに見るやり過ぎたキョロ充の被害者達。

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結局嫌っている事を態度に表明するのはストレス発散になる。
見下している事を態度に表明するのはストレス発散になる。
見下されるには、もしくは嫌われるには相手にも落ち度があったのかもしれないがそれもやりすぎると依存している事になる。
馬鹿にしたり嫌ったりする人間に依存される方は溜まったものではない。
しかしツイッターやユウチュウブにも関わらず、それでも相手が反応を示さずブロックもしてこないならどうでも良いと思われているか逆に見下されているか、或いは幼稚な行動を許してしまっているのだ。

一体本当はどちらが見下す対象かと言う話だがそれはやりすぎたアンチの話で批判がなくては世の中は正しくまわらない。



インターネットにはsyamu gameのシャムさんという人がいる。
皮肉って大物ユウチュウバーと言われる事の多い既に引退したユウチュウバーで一言で言うとツッコミ所の多い人だ。
ネット民はこういうツッコミ所の多い人物が好きでそして頻繁にやりすぎている。
一人間でありながらコンテンツのような認識をされた人達は、はじめはそれを受け止めながらもやがては引退する定めにある。

性の喜びおじさんと言われた人物は挙げ句死んでしまった。
詳しいことは不明だが電車の中でいつものように卑猥な言葉を口走っていると(中略)相手の男は怒り狂い挙げ句気道も確保できない状況で取り押さえられ死んでしまった。
この事件でネックになるのは加害者が死なせてしまった相手を性の喜びおじさんと認識していたかどうかだが

①いつものように卑猥な言葉をおじさんが口走っているとそれを盗撮されていた事におじさんが気づき騒動に発展した。
②いつものように卑猥な言葉をおじさんが口走っていると、加害者の男がそれを注意してきて、おじさんが逆ギレすると加害者の男が威嚇するように盗撮を開始。騒動に発展した。
③いつものように卑猥な言葉をおじさんが口走っていると、加害者の男がそれを注意してきて、おじさんが逆ギレすると騒動に発展した。

主にネットではこの3つが候補として囁かれている。

ネットでは限度を超してぶちギレた加害者の就活生らしき男をキョロ充として見ているようだが(怒りの加減の調節がおかしい事から普段から人に突っ込まれたり馬鹿にされたりすることを許さない。結果的にやりすぎおじさんが亡くなっている事から普段から喧嘩慣れしていない)大体こういうコンテンツになってしまった人間を引退に追いやるのは(おじさんの場合は亡くなってしまったが)意気がったキョロ充だ。
オタクでもリア充でもない彼等はマイノリティでありながらマイノリティの実感を持たず自身を普通よりの人間だと考えているから常にやりすぎる。



人を口汚く罵り、挙げ句は暴力まで振るう傾向にあり、集団ストーカーの被害にあっていると主張していたaiueo700だって、はじめは凸者にも正統性があった。
しかし次第にキョロ充みたいなのがやりすぎるようになり、今では完全にやり過ぎている。
DQNはネットで叩かれるし、オタクもオタクで叩かれる。
しかしキョロ充はDQNとオタクを都合よく使い分けて常に叩かれないように偽装している。

例えば本来ならコンテンツ化した人間にやりすぎるキョロ充の立場でありながら、自分がコンテンツになってしまったなんJで一番有名なコテハン八神太一は典型的なキョロ充だった。
教室では控えめに過ごし何とかクラスの主流派に食い付き、マーチの父と自分より頭の良い弟へのコンプレックスにストレスを溜め、それが彼をなんJでの熱い自分語りと全方位ディスに駆り立てた。

八神太一はたまたま住所を特定されたが、大抵のキョロ充というのは依存している対象にネットで″死ね″とか打ち込みながらのうのうと生きている。