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イスラム国が人を殺す理由について。

嫌われ者のブログ 社会

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人間と言うのは一度嫌いになった人間の事は袈裟まで憎い。
ある段階まで行くと、もう息をしているだけでウザく失せろとしか思われなくなる。
少し話は変わるがイスラム国は異教徒を殺す。
あの態度を見れば人間は嫌いな人間、もしくは尚且つ意見が対立する人間に対して本質的にどう思っているのかが分かる。

殺したいか、もしくは消したいんだ。
イスラム国は異教徒を殺す、殺されたくない異教徒は一方的にイスラムに対する親しみを述べたりコーランを唱えたりするのだが、結局は彼等は異教徒を殺す。
何故なら嫌いだから、先に書いたように、嫌いな人間のする行動は全てがウザいからだ。
よく心理学で、相手と親しくなる為には気付かれない程度に相手の行動を真似すれば良い等と言うのだが、嫌いな人間に自分の行動を真似されて親しみを持つだろうかと言うと答えは逆効果だと思う。

憎むべき異教徒がいくらアッラーフ・アクバルと叫ぼうと彼等は耳を貸さない。
何故なら嫌いだからだ。
それに彼らから見たら異教徒と言うだけで、対立軸を感じている。
私は知っているぞ、対立軸を持った人間をどんなに力で押さえつけても、力が弱まれば舌を出す事を。
舌を出されたくなければ一生監視するか、もしくは殺すか。

舌を出す可能性も含めて将来的に舌を出された腹立たしさも鑑みて今の内に痛め付けるとか結局は物騒な話にしかならない。
イスラム国はすでに対話を拒否しているので、対話によって分かりあい、不誠実な行いをさせないという選択肢はすでにない。

イスラム国が対話を拒否するなら異教徒も殺しあいに持ち込むしか道はない。
インターネットで特定の集団や個人にヘイトを述べる人間は、イスラム国が何故人を殺すのか身に染みて分かるべきだ。
嫌いな人間と積極的に関係を持つと言うのは殺しあいになっても可笑しくはないケースだ。
単一民族だと油断して適当にやってたら、もしくはネットだからと他国民を口汚く罵っていたら、国家は分裂し、国を越えた民族同士の不幸な脅しあいになる。
そこまでなる危険性を考えてその上で大義があるのならやるべきなのだが、大抵の人間は不足の事態になれば都合のよい場所に避難する。

舌を出すだろう。
都合が悪くなったら他人のせいにするか自分の行いを隠蔽するだろう。
このままいられてもウザイだけだろう。
そういう事を相手がどんな言葉や行動をとろうが絶対的に将来的にはそうするだろうと思えるのなら、行きつく先は消滅を願うんだ。
 星新一の言葉で言うなら「いつの時代もヒューマニズムが強く叫ばれるという事は、人間がいわゆるヒューマンでないからこそだ」だ。
口だけの悟りやヒューマニズムは、嫌悪と言う7つの大罪の8番目に相応しい者のなかではほとんど無意味だ。
それに貧乏が重なると遂に戦争になる。
人間は御しがたい。