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適切な人間関係について。

人間関係上手くいかない-1

私は適切な寄り添い方と言うものができず、結局人間関係は一生ついてくる。
始めは不快でも何らかの本心を開けっ広げに示し、そして大っぴらに肩を借りたり貸そうとする。
それが適切な人間関係に繋がる事も大い。
私は、本心からそういう事をするのが恐くさじ加減を間違えれば大事になるのも知っている。
しかし私は元々から嫌われる人間で、毒にも薬にもならない人間ならまだしも、私は毒を隠したら不気味な臭いのする安物のプラスチックのような人間でしかない。

仮に私が真の強者ならすでに進化は必要ない。
しかし進化と言うのは本来なら弱者だから必要な行為なのに、強者のものとされているのは辛い。
私だってもう進化しなくても生きていられる強者なら、こんなみっともない真似は手放したい。
鬼畜島と言う漫画は面白いとは聞いていたのだが、グロテスクで失敗が恐い漫画でもあった為、私は買わなかったのだが、この間(申し訳ない話だが)漫画喫茶に置いてある本を読んだら私の中では当たりの漫画だった。

冒頭に引用されている名言がまたセンスが良い。
゛人間にもっとも多くの災いをもたらすのは人間である゛プリニウス
゛たぶんこの世は、別の惑星の地獄に違いない゛オルダス・ハクスリー
上の発言については異論もあるが、下の発言は気に入った。
地獄だと言い切ってしまうと、もっとひどい目にあっている人や人以外もいるのに傲慢ではないかと思うが、別の惑星にとっての地獄だと言うなら納得する。



しかしたまに気心の知れた人間とじっくり話すと分かるのだが、気心の知れた人間と喋るとこのブログにグタグタと書く事が幾つも消化できる。
現実世界の信頼に足る一人に話せば満足し、葛藤を消化できる話をブログでは不特定多数に読んでもらわなくては消化できない。
そして私はみっともなく続けるとしてもアフィリエイトがなくては、書きたくないと言う小さな人間だ。

ブログで仮に私が何を言おうと、あるいは不特定多数が嫌な思いをし、不特定多数が何かを得るだけで
結局は私と関係性の薄い人間の感情に何かが起きるとしても不特定多数の人間ではお菓子のような満足感しか得られない。
勿論それは私の考え方にも問題があるのだが、しかし現実で話す信頼に足る人間になら例えどんな反応をされようとしっかりとした食事をとったような満足感がある。

話も聞いてもらってアフィリエイトがなくてはやりたくない等と不明な感情も抱かない。
現実の魅力がしっかりしていれば、友人と言う存在はいつなくなるかは分からないアフィリエイトよりもよっぽど確実なものだ。
結局ブログではお菓子のような感覚しか掴めず、だからカードをつけろとか食玩をつけろとか我が儘を言う。
しかし現実の人間との会話はシェフの手料理だ。
おまけなんか私は、いらない。
しっかりとした感謝と満足感を抱く。
私が反強制的に人の目に入る場所に置いているから多少なりとも読んでくれる人がいる訳で、どのような感情であれ読んでくれる人には感謝しているが、その上でカードや食玩を要求するのは、これは食事ではない。
と私が思っているからだ。

私は人間染みた神様がいるとは思わないが、それでも秩序はあると思う。
秩序は私からアフィリエイトを一時的に奪い何をしたかったのかを考える。
少なくとも今の私は、一時期のものだったからブログを休止するという選択をしたが、もしこれがずっとだったらとかそういう事は考える。
例えば私が尊敬してやまないもとき王子様ならどうするだろうか、現実に希望を見つけあるいはユウチュウブに見切りをつけてチャンネルからいなくなる。
私はその方が理想的だと思う。
もとき王子様は、私とは違い始めに銭があったからブログを始めたと言うようなちゃちな存在ではないが、それでも途中からユウチュウブが収益化した事で、多少は救われた部分があったはずだ。
寂しいからやっているのではなく、銭が絡むからやっているのだと。

ただ、もし仮にこれが銭と絡まなくなったら、゛ネットの世界は広い為、いつかチャンスが舞い込むかもしれないから?゛と言う理由になるのか。
もとき王子様は私と違いリスナーが求めているからと言う理由づけもできるが、私の場合それでも続けるならただ寂しいだけだ。
ネットの登場で自称人間嫌い(これはもとき王子様は関係なく私の話だ)がかなり試される世の中になった。
どんなに人間嫌い等とうそぶこうが、ネットがあればおいそれと皆大なり小なり俗世に余計な関わりを持とうとする。

当たり前の話だが、人間との付き合いは人間にとってかなり重要なものだ。
嫌いだ、嫌いだと言いながら、目の前に軽く差し出されれば皆自分から手を出す。
大体の人間嫌いと言うのは、自分ルールが多すぎる偏屈な人間で、小人物の為宮崎駿のように自分の理想を人々に見せつける事も、押し付ける事もできず、挙げ句対話を放棄して人間嫌いだとか都合の良い事を言う。
それは大抵そうだ。

゛怒りを克服した゛゛物欲を脱した゛゛女性に興味がない゛適当な事を言いながら目の前に、楽に置いておけば、発言を翻す人間も少なくはない。
人間関係はその最たるもので、自称人間嫌いは、人間嫌いを名乗りながらネットを使い素知らぬ顔で人間に自ら関わろうとする。

嫌いだから傷つけたいとか言うならもう面倒臭いので聞く耳を持ちたくない。
ネット環境のある今の人間嫌いは、かなり幸福で、そして不幸でもある。
芥川賞作家の田中慎也や 西村賢太の魅力はネットに接続されない本当の孤独を知っている人間だから得られている。
特に田中慎也には過去の自分を感じる程に引かれる孤独を感じたが、勿論私がネットに係わらない人間だったとしとも特に何もなかった。
しかしあれは本当に上等な孤独だ。

もうこのまま名前がでたもとき王子様にかこつけて文章を続けてしまうが、もとき王子様はよく挨拶の話をする。
あれは、本当にどうしようもなく人間の縄張り争いみたいな行為だ。
下の人間は挨拶が返ってこなくても、挨拶をしなくてはいかず、信頼関係とか上下関係が如実に現れる。
あとは何だ、イスラム国の話とあと一つあったが先に譲る。
冒頭の文章を誤って消した為多少意味が不明瞭になったかもしれないが、私の文章なんて普段からこんなものだろう。

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