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「これでいいのだ」に陥る世界と個人。

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例えばキリスト教ならamen (まことに、確かに、そうなりますように、の意)。

イスラム教ならアッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり) 。

ナチス・ドイツならジークハイル(勝利万歳) 。

ソ連共産党なら同志スターリンに敬礼。

大日本帝国なら天皇陛下万歳。


特定の人間集団を代表する決まり文句のような言葉なら私程度が思い浮かべるだけでこれだけ出てくる。

そもそも決め台詞というのは自分を肯定するときに使う事が多い。
それは見た目がどんなネガティブな言葉でも、それを口にすることで自分を救っている事がある。
「自分は駄目だ」が口癖の人間なら゛駄目であるからある程度はしょうがのない゛「自分は駄目じゃない」が口癖の人なら駄目な自分から目をそらすことで何とか自分を肯定しようとしている。

決め台詞には一つの気持ちを締める役割があると共に免罪符でもある。
その言葉を言えば気持ちがスッとする。



帰属意識を持たない人間なんていない。
よく宗教が争いを生んでいると言う人がいたり、(自身も帰属意識を持ちながら)宗教をあからさまに馬鹿にしたりする人がいるが、宗教なんて分かりやすく帰属意識を具現化した存在なだけで宗教がなくても、帰属意識がある限り争いは繰り返される。
もしかしたら宗教の弱体化は必要かもしれないが、ヤクザが弱体化したら犯罪は減ったのだろうか。

不良外国人や半グレがそのパイに入り込んだだけな様にも見える。
ヤクザが弱体化すれば新しい犯罪者が入り込んで来たように空いた穴には大抵同じか、もっと劣悪なものが入る。
現在の宗教の有り方が仮に弱体化しても、恐らくは新しい帰属意識が宗教を名乗らなくても宗教と同じような名目で新しい争いを始めるだけだろう。



話を戻すが私は決め台詞とは先に書いたように自己肯定の為に吐く言葉だと思っている。
アッラーフ・アクバルだろうがエイメンだろうが言葉の意味は違ってもその言葉を吐く事で納得し一旦思考を停止させる役割がある。
だからこそ宗教への帰属意識は危険だと言うのかも知れないが、これは大日本帝国万歳もジークハイルも同じ意味合いで吐く言葉だと私は思う。
だったら今度はレイシストは危険なのだという事になるのかも知れないが、言うなれば言った瞬間思考停止に陥る決め台詞を集団で吐くという行為そのものが危険なのだろう。

結局決め台詞の本質というのは皮肉な事に、ギャグ漫画のキャラクターでなければ全くの狂人であるバカボンのパパがギャグとして述べているように思う。
すなわちは「これでいいのだ」と。

私から言わせれば決め台詞の本質とも言えるような言葉をバカボンのパパのような狂人が吐くというのは最高の社会風刺であるのだが、「これでいいのだ」はコメディアンのチャップリンが出演した映画である独裁者の演説のように社会風刺を目的にしたものではない。
ただのギャグとして言っている。

(私と世間が勝手に深読みしているだけだったにしても)その事実には只久圧倒される。

集英社手塚治虫賞と並ぶギャグ漫画の賞に赤塚不二夫賞があるのだが、あまり大っぴらには言われなくても手塚治虫が漫画の神様なら、赤塚不二夫はギャグ漫画の神様とも言える存在である。
(頭に思い浮かんだ時は皮肉として思った訳ではないのだが)そう思えばやはり神の言うことは偉大だ。



話が少し変わるが勢いのある政党を見れば、その国の現在が分かると言うものだが、世界の現在を知るために重要な宗教の話で言えばまもなく3人に1人がイスラム教の時代がやってくるのだと書かれた著書が発売されている。

「3人に1人がイスラム教徒」の時代をどう生きる?『となりのイスラム』



イスラム教=イスラム国ではないが、人間や集団と言うのは末期になると破壊衝動に目覚める。
アメリカで今ドナルド・トランプが躍進しているように追い詰められて過激になる集団や人間は珍しくはない。

イスラム国と言えば我が国からも26歳の大学生という何とも色々な背景を思わせる存在がイスラム国入りを目指して渡航しようとしたが我が国が未然に防ぎ一時期話題になった。

イスラム国、大学生が参加を計画 「勤務地:シリア」アキバの古書店に怪しげな求人



イスラム国にはこういう背景を持つ様々な国籍を持つ人間が現地入りしているという臆測もあり、世界規模になったオウム真理教のような組織が今世界を虜にしている様を見ると、そろそろイエス・キリストが降臨して、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるのではないかという気さえする。