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愛犬家のような親たち。

嫌われ者のブログ 人(パターン)

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レジというのは他者の繋がりを強制的に100人単位で見せられる仕事である。
多くの人間がその繋がりに何らかの誇りをもっていて、中には私の思い込みかもしれないが、その繋がりを見せつけてくるような人間もいる。
過去の私は極端に孤独死をおそれ繋がりを作る為に努力したが、それが無駄だと分かった今積極的にそれを作ろうとする行為は放棄した。
もはや孤独死を救えない人間関係も、いずれ自分と共に汚ならしい老人になるであろう女性も、今は興味がない。

ちゃらついた若者に、恋人同士、みんな誇らしそうにその関係を誇示しようとするが、負け組の私にはそれに興味がない。
特に子供づれの夫婦に、子供そのものなど、何故か自分達を特別がっていて(私の思い込みです)お犬様を見せつける愛犬家のように、自分達を、特に子供自身を特別扱いさせようとするが、どうして見ず知らずの男性の精子が産道からでてきて人間化したものを私が特別扱いしなくてはいけないのか?
いくら人間化したからと言ってどうして他人の精子に特別な対応をしなくてはいけないのかと私は思う。
何と言われようが子供ひいては人間なんて私にとってはそんな存在だ。
祭り客の後で(祭りの後の客は大抵注意力が散漫になっている上に多く並ぶ)イライラしていたのもあって、最近久しぶりに騒音をだしていた子供を注意した。多少は気を使ってくれる親で助かったが、訳の分からない親なら完全に私宛のクレームになっていただろう。

しかし最近の子供は接客業が客に何一つできないのを知っているから、注意されても特に何一つビビらない。教師なんてそうとうなめられている事だろう。

今の御時世、そうとう将来の事を考えないと子供なんて育てられないのもあって、こんな後姿勢に子供を育てる親はペット感覚で子供を育てている人が多い気がする。
子供の迷惑行為を放置する親は、かわいいお犬様の鳴き声だから騒音とは見なさずに放置している愛犬家みたいだ。




手渡しで会計をすませようとする客がいる。10人に1人はそういう客がいて、大抵のお客様はトレーに会計分を払う。
手渡しで現金を払うのは肉体労働者か、老人か、いい人顔した人間のほぼどれかに当てはまり、いい人顔した人間は明らかにその行為が丁寧な行為(実際はお前の給料は自分の会計からでている事を示したい権威の現れだろう)だと感じているのだろうが、私に言わせれば変わり者の意味不明な行為だ。

流れ作業であるレジにおいてそういうイレギュラーな行動は例え丁寧であろうと邪魔だし、混雑したレジの中でなんの脈絡もなしに、手元に小銭を渡そうとしてくる客は、失敗を引き起こす対象でしかない。

いずれ機械に変わられる非正規雇用が驚くのは、そういう変わり者の客に限って自分がまったく普通な人間(それどころか善良な人間)だと思い込んでいる所だ。
善良だと思い込んでいる人間は、自分が不当に扱われたと感じた時の怒りもひとしおだ。
だから普段は何も言わないのだが、祭りの客の後で精神状態がヤバかった私はそういう客に注意という名の逆ギレをした。
あの日は本当に、注意という名の逆ギレが私宛のクレームにならなくて幸運な日だった。